温泉

中禅寺金谷ホテル

奥日光の中禅寺金谷ホテル。3年前の夏に一度泊まりましたが、一泊だけでした。もっとゆっくりしたかったし全国旅行支援もあったので、奮発して2泊とることにしました。


夏だったらここでビールでも飲むのだけど・・・。寒すぎて無理っ!
でも、木が生い茂って湖がまったく見えなかった夏とは違い、木の隙間から湖が見えるのは冬のいいところですね。

今回は部屋食のプランなので、スパークリングワインを持ち込んでゆっくりいただきました。
前菜のオードブルは2人用の盛り付け。メインディッシュはオプションの栃木牛ステーキにしました。
栃木牛ステーキはとろけるようで、それはそれは美味しかったです。

日光湯本源泉 空ぶろ

↑中禅寺金谷ホテル公式サイトより転載
→2019年8月撮影
このように日によって色が変わったりします。もちろん掛け流し。

湯ノ湖近くの源泉からはるばる9キロも引き湯された源泉は熱すぎることなく、ほどほどの湯温で快適です。
硫化水素の香り(いわゆる硫黄の匂い)がとても強くて癒やされます。
湖は立ち上がらないと見えないけど、夕暮れ時の空の色はとても美しかったです。
難を言えば温まるけど湯冷めしやすく、真冬は入っても入ってもすぐ冷えること。またホテル本館からの渡り廊下が長くて寒い(外気温とほぼ同じ)のも、ちょっと大変なのです。

この中禅寺金谷ホテルの開業は1940年(昭和15年)と古く、当時は温泉もありませんでした。温泉浴室棟が新設されたのは46年後。
また本館、レストラン、温泉とも湖に面した造りにするためにどうしても横に長い設計になっているので、ひたすら歩くことになるのもやむを得ません。

夕方はロビーの暖炉に火が入り、とてもいいムード。
欲を言えば暖炉の前でスパークリングワインなんぞ飲みたいところです。でもロビーは飲食禁止なので、他の宿泊客たちもほんの短い時間しか座ってなくて、すぐ立ち去ってしまいます。
せめてコーヒーくらい飲めればと思ってしまいます。

中禅寺金谷ホテル「空ぶろ」

【泉質】含硫黄-カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩温泉(中性低張性高温泉)
【源泉温度】78.5度
【入浴料】
 ◆大人(中学生以上)¥1,300
 ◆小人(小学生)¥600(小学生未満無料)
【入浴時間】
 ◆宿泊客:5:30~9:30/13:00~24:00
 ◆立ち寄り客:13:00~15:00
 ◆中禅寺金谷ホテル公式サイト

日光金谷ホテル

ホテル前から無料シャトルバスが出ているので、それに乗って日光金谷ホテルに行ってみました。

←旧館の外観。装飾もふくめ素晴らしいたたずまい。
↓本館のロビー。クラシックホテルという名がぴったりとくる風格です。

日光金谷ホテルは1873年(明治6年)、金谷善一郎氏がアメリカ人のJ.C.ヘップバーン(ヘボン)博士を自宅に泊めたのが始まりという、大変歴史のあるホテルです。
金谷氏は日光東照宮の楽師、ヘップバーン氏はヘボン式ローマ字綴りを考案した、あのヘボン博士です。
そのうちヘップバーン氏の日光訪問談を聞いた外国人がやってくるようになり、自宅だけでは部屋が不足するため、自宅を改築して外国人向けの民宿施設「金谷カッテージ・イン」として開業しました。
当時バケーションとかリゾートなどという概念がなかった日本で、まさにリゾートホテルのはしりのような存在となったのが金谷ホテルというわけです。

1878年(明治11年)にはヘップバーン氏の紹介でイギリス人のイザベラ・バード氏が訪問。
イザベラ・バードは私が憧れている旅行家であり、探検家であり、紀行作家でもある女性です。19世紀、かのヴィクトリア女王の時代において女性としてはかなり珍しい旅行家として世界中を旅し、その国々での体験記を著しました。
「女が一人旅をするなんて!」という時代にたった一人で中国、ベトナム、シンガポール、インド、チベットなどの秘境から、オーストラリア、ハワイ王国、日本に至るまで(しかも北海道、当時の蝦夷のアイヌの村まで訪れている)多くの国々を旅したのですから、好奇心が強いうえにかなり度胸のある女性だったのではないでしょうか。

とはいえ言葉の通じない国では通訳を雇っていたようで、日本訪問時には日本人通訳を伴って金谷カッテージ・インの他、奥日光の湯治宿にも泊まったそうです。

←日光金谷ホテルのロビーに展示されていたイザベラ・バードの記録。なんか凄いですねぇ。ホントに来たんだ、って感じがひしひしと伝わってきます。
ヴィクトリア朝時代に一般的であったろう女性としての生き方には目もくれず、一人でどんな異国も臆せず訪れてしまうなんて、ホントすごい人です。
私もこんな生き方ができたら良かったのにな~なんて思ってしまいます。

この奥日光からアイヌの村までの旅が「日本奥地紀行」という本に著されているそうなので、いちど読んでみようかと思っています。

ちなみに金谷カッテージ・インは1893年(明治26年)、現在の場所に「金谷ホテル」として営業を開始しました。
大正時代には皇室の日光御用邸が現・日光田母沢御用邸記念公園の場所に建てられ、日光はますます国内の要人、訪日外国人らの社交場として発展していきます。
1922年(大正11年)にはイギリス王太子であるウェールズ大公エドワード――― のちに「王冠を賭けた恋」で王座を捨てた国王として有名になるエドワード8世が宿泊しました。さらに同年11月はアルベルト・アインシュタインが、1931年にはアメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグ、1937年にはヘレン・ケラーが宿泊しました。

その後、昭和に入って太平洋戦争下では軍関連の宿舎などとして使われ、戦後はGHQに接収されるといった出来事を経て今に至るというわけです。
建物のすべてが当時のままではないとは思いますが、この回転ドアが数々の著名人を出迎えては送り出してきたのだと思うと、歴史の重みに彩られたホテルなのだなと感慨深いものがあります。

実はこの訪問時、ホテルでは避難訓練が実施されていたこともあって、こちらまでテンパってしまって本館外観を撮り忘れてしまいました。
でも、避難訓練は宿泊客の命と歴史あるホテルの建物を守るためには欠かせないお仕事ですね。
私は訓練の喧噪をよそに、ホテルのクラシカルな内装をじっくりと堪能させてもらうことにしました。左は階段の手すりの飾り。インドの古代仏教風という感じで本当に素敵ですね。

[続く・・・]

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